◎太田宿中山道会館(2)
岐阜県美濃加茂市太田本町
(4月24日撮影)
(4月24日撮影)
●1枚目:糸遊庵(シユウアン)
室内の説明書き等によりますと以下のようです。
「芸術は爆発だ」の岡本太郎氏の父親、岡本一平氏(1886~1948)は、
大正から昭和の戦前にかけて活躍した漫画家で、
総理大臣の名は知らなくても、
岡本一平の名を知らない者はないとまでいわれる人気がありました。
「芸術は爆発だ」の岡本太郎氏の父親、岡本一平氏(1886~1948)は、
大正から昭和の戦前にかけて活躍した漫画家で、
総理大臣の名は知らなくても、
岡本一平の名を知らない者はないとまでいわれる人気がありました。
一平の最初の妻は歌人で作家の岡本かの子で、
彼等の子が岡本太郎氏(1911〜1996)で、
太郎は昭和45年(1970)に開催された大阪万博で、
シンボル・タワーの太陽の塔を製作しました。
彼等の子が岡本太郎氏(1911〜1996)で、
太郎は昭和45年(1970)に開催された大阪万博で、
シンボル・タワーの太陽の塔を製作しました。
糸遊庵は、一平とその家族が昭和21年(1946)に美濃加茂市へ転居後から、
一平が亡くなった翌年まで過ごした住宅で、
一度は解体されたものの、部材の一部を使用して再築し、
平成16年(2004)に市が寄贈を受けて再現しました。
一平が亡くなった翌年まで過ごした住宅で、
一度は解体されたものの、部材の一部を使用して再築し、
平成16年(2004)に市が寄贈を受けて再現しました。
●2枚目:一平の詠んだ句が刻印してある石
●3枚目:玄関に飾ってある一平による自画像
●4枚目:上がり端
左手は壁になっていますが、
かつては土間があり、
階段の向こうの正面には8畳の部屋がありました。
かつては土間があり、
階段の向こうの正面には8畳の部屋がありました。
●5枚目:1階の座敷
右奥の暗い部分は床の間で、
7と8枚目のように布でウメの花を模した枝が飾ってありました。
7と8枚目のように布でウメの花を模した枝が飾ってありました。
●6枚目:座敷の欄間
我家には欄間がないので、
すっきりしたデザインの欄間にうっとり。
すっきりしたデザインの欄間にうっとり。
●7と8枚目:布製の梅の花枝
●9~11枚目:2階の部屋
1階の土間の部分の2階は納戸でしたが、
この部屋のみが再現してあります。
この部屋のみが再現してあります。
●12枚目:岡本一平のアルバム
当時を偲ぶ写真が貼ってありました。
糸遊庵も中山道会館内にある資料博物館も見学は無料です。
館内の「おやすみ処やどりぎ」では手頃な値段で食事やお茶がいただけますし、
土産物コーナーには新鮮野菜もあります。
土産物コーナーには新鮮野菜もあります。
大樹の榎がそびえる広場では時にイベントが開催されますので、
ウェブページが参考になると思います。
ウェブページが参考になると思います。